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2020年東京オリンピックに向け、女子バレーボール日本だ表チームを率いる中田久美監督。
現役時代も15歳から代表入りし、名セッターとして3度のオリンピックに出場した経験を持つスゴい人です。
今回は中田久美監督の怖い伝説や気になる写真集、病気で激やせした噂、あの尾崎豊さんと友達なのかなどまとめたいと思います!
C O N T E N T S
中田久美監督の怖い伝説とは?尾崎豊と友達?
アジアで4位の厳しい現実、それでも金メダルを「諦めない」 監督・中田久美の覚悟#バレーボール #火の鳥NIPPONhttps://t.co/RFW9NHQbOM
— スポーツナビ (@sportsnavi) 2018年9月11日
中田久美監督には、いろいろな「伝説」があります。
全部が本当かどうかもはや判断がつかないものもあったりしますが紹介していきたいと思います!
素晴らしい経歴の持ち主の中田久美実監督ですが、実は鬼軍曹として有名なんです。組長をもじった「久美長」というあだ名もあるほどなのです。
中田久美監督怖い伝説「てめえらコノヤロー」事件
バレーボール女子代表選手たちがアテネオリンピック出場を決めた時にテレビ番組「すぽると」出演中にもかかわらずはしゃぎ続けていたのですが、しばらく耐えていた中田久美監督が「てめえらコノヤロー!!」とブチギレ!!
どうやら中田久美監督のマイクがONになっていたようで、す・・・
選手たちを説教する音声がテレビで流れてしまいました。
オリンピック出場が決まったら誰でもはしゃいでしまいそうですが、そこは日本代表。TPOをわきまえること、あるべき立ち振る舞いを忘れた後輩たちへの厳しい指導だったのではないでしょうか?
同番組に出演していたジャニーズグループ・NEWSが最も恐れる人として中田久美監督の名前を挙げているほどです。笑
中田久美監督のその他の怖い伝説
実は性格が怖いと言われることになったエピソードは他にもあり、
- 現役時代には対戦相手にガンを飛ばして戦意喪失させてしまった。
- 解説者の時、試合内容に腹が立って持っていたペンを折ってしまった。
など、聞いているだけで恐ろしいような話ばかりです・・・!笑
それだけバレーボールに対して熱心な気持ちを持っていたということですよね。
個人的にかなりツボな伝説的エピソードは、
・中学生時代、朝練で疲れて休み時間に寝ていた中田久美監督ですが、ギターをかき鳴らしてた同級生の尾崎豊さんに「うるせえんだよ!外行って弾けや!!!」と怒鳴ったら半泣きになった。
というお話です。笑
実は中学校の同級生だった中田久美監督と尾崎豊さん。
中田久美監督にかかっては、伝説的な歌手も立場なしです!
あと、怖い伝説ではなくて、スゴい伝説もあるのでご紹介します。
・中田久美監督が、ブロックを専門とするセンタープレイヤーから突然セッターに転向指令を受けた次期、体育館の中田久美監督のポジションのところの床だけはげていた。
床がはげるほど一番最後まで練習していたってことですよね・・!
・オリンピック直前は体育館の自分のセッターのポジションに布団を敷いて、ボールを抱いて寝ていた。
この話が本当なのかも分かりませんし、どういう意味があるのか凡人の管理人には分からないのですが、つまりそれほどに中田久美監督はバレーボールに情熱を持って打ち込んでいた、ということだと思います!
怖い!ということではなく、情熱が普通の人の何倍もあるということなのかな?と今は感じますね。
中田久美監督が写真集を出していた!
バレーボール選手を引退した中田久美監督は、1998年にセミヌード写真集「中田久美写真集」を出版しました。
結婚してわりとすぐに出版したようなので、旦那さんも驚いたことでしょう。※結婚については後で出てきます。
中田久美監督はバレーボール引退後、エネルギーを燃やすものを探求する日々を続け、モデル・スポーツキャスター・テレビタレント・全国で講演・バレーボール教室などを経験してきました。
この写真集もそういった道筋の中で出版されたのかもしれません。
どんだけ過激なんだ!?と思いしたが、写真集の表紙だけでもなんだかスタイリッシュでかっこいい芸術作品の枠に入ると思います!
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中田久美監督は病気で激ヤセして白髪に?
2020年東京オリンピックの女子バレーボールチームの監督に就任し、話題となった中田久美監督。
しかし最近は病気が原因で激ヤセ&白髪がすごいという噂も・・・
最近の写真では、激ヤセ!ってほどではないですが確かにちょっとやつれてるような??
なんで激ヤセなんて噂が流れたのか調べてみると、
- 久光製薬監督時代、何度か体調不良で欠席したことがある
- 現役時代からの持病ヘルニアため
などが考えられますが、病気というのはガセのようです。
どうやら激痩せの理由は監督としてのストレスと言われているみたいですね。
中田久美監督は実は慎重な性格といい、監督就任後は食欲が少なくなり、選手起用で悩んで眠れない夜もあるそうです。
なんと、ご本人いわく現役時代より5倍はきついんだとか。
たしかに監督というと、責任という言葉が一層重く感じますよね・・・・
また、白髪については年齢によるものだと思われます。
中田久美監督ももう50代ですしね・・・
一時期アッシュ系のカラーに染めていたので、光の当たり方によっては白髪まみれに見えたのかな?とも個人的には思っています。
中田久美監督のプロフィールと選手時代の活躍
改めて中田久美監督のプロフィールです。
名前:中田久美(なかだくみ)
生年月日:1965年9月3日
星座:乙女座
出身:東京都練馬区
身長:176cm
体重:62kg
血液型:A型
出身中学:練馬区立練馬東中学校
出身高校:通信制のNHK学園高校
セッター育成急務 “鬼軍曹”中田久美氏が女子バレー監督に https://t.co/jQsyscaoxk #日刊ゲンダイDIGITAL
— ドラマチック女子バレーby白鳥優哉 (@lucky_starx) 2016年10月15日
中田久美監督は練馬区立東中学校に入学後、バレーボール部に入部しました。
中学2年生になると、元全日本監督の山田重雄監督が始めた「LAエンジェルス」に入団し、バレーの英才教育を受けたことで、メキメキと上達していきました!
中学卒業後はバレーボールに集中したいからという理由で、通信制高校に通います。
かなりバレーボール中心の生だったのがわかります。
それだけ熱中していたということですね!
山田重雄監督が率いる日立ベルフィーユへ進み、強豪実業団チームでバレーボールに青春時代を捧げました。
史上最年少の15歳で全日本代表に選出されたり、個人史上最多の3度のオリンピックにも出場したりと大活躍です!
また、自ら怒られ役に徹し、チームにまとまりが出るように努めました。
技術的なものだけじゃなくて、精神的にもチームに貢献していたんですね~
こうやって周りに気を遣える人って尊敬します。
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1986年には練習中に右膝前十字じん帯を断裂し、再起不能ともいわれた大ケガでしたがリハビリを乗り越えなんと10ヶ月後に試合に復帰!
しかし右膝は2度の手術でも完治せず、試合の時は痛み止めの薬を手放せない状態となります。
引退後はバレーボール教室など後進の指導や全国各地での講演、バレーボール解説者のほか、スポーツキャスター、タレントとして活動しています。
その後、久光製薬の監督に就任すると、プレミアリーグで優勝3回、準優勝1回、全日本選手権で4連覇に導いく実績を残しました。
現在はバレーボール女子日本代表「火の鳥NIPPON」の監督に就任!
東京オリンピックに向けてこれからの動向が期待されています。
中田久美監督の結婚と離婚。子供はいた?
中田久美監督は29歳の時に一般男性の林隆夫さんと結婚しますが、3年ほどで離婚していて現在まで再婚はしていない状況です。
子供はいなかったようですね。
林隆夫さんは、高校野球で甲子園にも出場したことがあり、父親の林亮勝さんは歴史学者で、大正大学で学長をしていたそうです。
離婚理由については中田久美監督の完璧主義が災いしたようで、
「結婚に完璧を求めてちゃいけなかった」
と振り返っています。
たしかに、結婚に完璧を求める=旦那に妻の側のあるべき理想の姿を求めるという図式は結婚あるあるです・・・。
人間、完璧な人なんていない!なんて分かっているけど、やはり求めてしまいますよね~
ただ、中田久美監督の場合は、自分にも相手にも求めてしまった、ということなのではないかと勝手思っています。
他にも、離婚原因は、中田久美監督が出したセミヌード写真集や、旦那両親との不仲などが原因だと現在でもネットではいろいろと噂をされています。
ただ、これらは外部の人間には確かめようもないことなので、噂の域を出るものではないと思います。
まとめ
中田久美監督が天才セッターと呼ばれた裏にはかなりの努力と苦労がありました。
バレーボール現役引退後もさまざまなチャレンジを続けています。
中田久美監督率いる「火の鳥NIPPON」の東京オリンピックでの活躍が楽しみですよね!
そしてまた鬼軍曹の指導が見れるのでしょうか。これもちょっと期待してます笑
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