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昭和を代表する名俳優!といえば、石原裕次郎さんを思い浮かべる人も多いのではないでしょか?
1987年に52歳で亡くなってから約30年が経ちますが、未だに語り継がれている伝説の俳優さんです。
今回は石原裕次郎さんの子供(息子)ができなかったことに関する噂、梅毒など死因の真相を総まとめしたいと思います!
C O N T E N T S
石原裕次郎に子供に関する噂総まとめ!
石原裕次郎さんはデビュー映画「狂った果実」で共演した女優の北原三枝(のちに石原まき子)さんと結婚します。
しかし、石原裕次郎さんと妻・まき子さんの間に子供はいませんでした。
日本を代表する名俳優が遺伝子を残さないの!?と思ってしまいましたが、理由があったようです。
あとで出てくる石原裕次郎さんの死因とも関係してくる「梅毒(ばいどく)」が原因で子供がいないのではないかと噂されているのです。
梅毒だなんてずいぶんな理由だなと思うのですが…。
外部の人間には確かめようもないことですが、石原裕次郎さんは歌手の松田聖子さんと愛人関係にあったという噂もありました。
しかし石原裕次郎さんと松田聖子さんは夜の関係を持つことができず、その原因も梅毒にかかっていたからではないかと言われています。
実際はどうなんでしょうね?
そもそも石原裕次郎さんと松田聖子さんが愛人関係というところからして、なんとも言い難いところなのに、梅毒だったから関係が持てなかったと言われましても困ります…という感じです。
ただ、一つだけ信憑性を感じてしまうのは、石原裕次郎さんの死因の一つと言われている「解離性大動脈瘤」は梅毒が原因でなることもある、という点です。
100%梅毒が原因であるわけではないので、もちろん断言などできませんが、女性関係が派手だった石原裕次郎さんだったら、可能性としてなくはないのかな?とは個人的には思います。
しかし、ご本人に確認した訳ではないですからね。
さらに、松田聖子さんとの関連で言うと、元旦那である神田正輝さんの間に生まれた神田沙也加さんは実は石原裕次郎さんの子供だったとの噂まであるほどです。
しかし・・・神田沙也加さんの顔を見ても石原裕次郎さんの面影は全く持ってないように見えます!
さすがにこれはあからさまなガセネタっぽいですね。
子供を授かる授からないは、結婚と同じく縁というしかないと思います。
ただ、石原裕次郎2世の息子さんがいたら、一体どんな名優になったんだろうか!と思ってしまいますよね。
石原裕次郎の死因の真相総まとめ!梅毒って何よ?
石原裕次郎さんの死因は「肝細胞癌」だと公表されているのですが、実は別の死因では?とさまざまな噂が飛び交っているのです。
一体どういうことなのでしょうか?
例えば、根強く噂されている石原裕次郎さんの死因の一つに「梅毒(ばいどく)」があります。
そしてまた、石原裕次郎さんの死因の一つと言われている「解離性大動脈瘤(かいりせいだいどうみゃくりゅう)」という病気は、動脈硬化や梅毒が多くのケースで原因とされているのです!
昔は梅毒が原因でなることが多かったため、「梅毒性大動脈瘤(または血管梅毒)」とも呼ばれていたそうです。
梅毒を放っておくと、大動脈の中膜を侵して弾性線維の断裂を引き起こし、これに負担が加わると大動脈瘤へと進展するのだそう。そして最後は動脈が破裂してしまうのです!
石原裕次郎さんは、昭和の芸能界を象徴する派手な夜遊びを繰り返し、女性との噂が終始絶えなかったので、梅毒にかかっていたのではないか?と言われているんですね。
でも、誰か本人に確認でもしたのでしょうか…?
それとも公然の秘密だったのか?
死因についてはこれらはほんの一部であり、別の説も多数存在します。
見てみましょう!
・足の骨折で何度もレントゲン写真を撮りすぎたからという説
・手術をした際にC型肝炎ウィルスが感染したため
・元々の持病であった肝硬変や糖尿病が死因の説
・おたふく風邪にかかってしまったのが原因説
・愛人の家で倒れたとの噂から、腹上死説
色々説がありますね・・・
調べたところ、一番よく噂されているのは梅毒説のようですね。
派手に夜遊びを繰り返していたとあったため、まさに大スターそのものな大胆な生活を送っていたのが病気となって返ってきてしまったのかもしれませんね。
それにしても、果たして真相はどうだったのでしょう・・・。
石原裕次郎さんの死後30年以上経った今でも諸説飛び交う状況です。
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石原裕次郎のプロフィール
あらためて石原裕次郎さんのプロフィールです。
生年月日:1934年12月28日
没年月日:1987年7月17日(享年52歳)
出生地:兵庫県神戸市須磨区
死没地:東京都新宿区信濃町慶應義塾大学病院
最終学歴:慶応義塾大学法学部政治学科 中退
身長:178 cm
血液型:A型
職業:俳優、歌手、声優、司会者、モデル、実業家、ヨットマン
配偶者:石原まき子(北原三枝)
著名な家族:父 石原潔 母 石原光子 兄 石原慎太郎
俳優 #石原裕次郎 の1987年の忌日。生前、あじさいの花が好きだったことにちなみます。
昭和を代表するスーパースターの代表曲なだけあって、「夜霧よ今夜もありがとう」は色々な規格の音盤に収録されていますね。#DU柏今日は何の日 pic.twitter.com/UeSzWby96C— ディスクユニオン柏店 (@diskunionksw) 2018年7月17日
石原裕次郎さんは言わずと知れた昭和の大スターですが、実は意外にも東宝、大映、日活などのオーディションに全て落ちているんです!
初めから大スターの素質があったというわけではなかったのか、全ての映画製作会社が見抜けなかったのか…。
しかし、1956年に兄である石原慎太郎さんの芥川賞受賞作『太陽の季節』の映画化の端役としてデビューします。
でも実はこのデビューには裏がありました。
水の江瀧子さんより石原慎太郎さんの元に『太陽の季節』の映画化の話が持ち掛けられた時、父・石原潔さんの死をきっかけに生活が荒れ、遊び呆けていた石原裕次郎さんを出演させるのを引き換えに、石原慎太郎さんは『太陽の季節』の映画化をOKしたのです。
日本の大スター石原裕次郎を見出したのは、裕次郎さんを一番知っている兄の存在だったのですね。
経緯はともかくとして、この『太陽の季節』から石原裕次郎伝説が始まったのですから、本当に記念すべき作品です。
まとめ
さすが大スターと呼ばれた名俳優、噂が噂を呼び・・・子供についても死因についても色々な噂が絶えません。
いろいろ言われるのがスターの宿命とは言え、何が本当のことなのか分からなくなりますね。
しかし、今後も真相が明かされることはないかと思われます。
大スターは死んでなお良くも悪くも語り続けられ、生き続ける存在なのだということを石原裕次郎さんのいろいろな噂を調べながら強く感じました。
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