田原直哉の現在!wikiや出身高校は?体操時代や結婚も調査!

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田原直哉(たばらなおや)選手は、体操からエアリアルに競技を変えてオリンピックに出場を決めた異色の経歴の持ち主。

一度体操選手として大きな挫折を経験してからオリンピックにたどり着くまでかなりの苦労や努力があったようです。

 

そんな田原直哉選手の現在wikiプロフィール出身高校体操時代や結婚のことについて書いていこうと思います。

 

田原直哉の今現在は?

田原直哉選手は2018年ピョンチャンオリンピックのエアリアルに見事出場を決めました。

結果は、残念ながら19位で終わってメダル獲得はならず。その去就が注目されていました。

 

そして現在、田原直哉選手は現役続行を宣言しています!

また、2018-2019シーズンにおいて、エアリアルの強化指定選手にも選ばれています。

当たり前かもしれませんが、今も実力はちゃんと評価されているんですね。

 

後進のジュニア選手の育成も手掛けるようですが、今現在もあくまで現役!ということでよかったですね。

次のオリンピックではぜひメダル獲得を!

 

田原直哉のwikiプロフィールや経歴

改めて田原直哉選手のwikiプロフィールや経歴です。

名前:田原直哉(たばらなおや)

生年月日:1980年12月24日

身長:165cm

体重:68kg

血液型:A型

出身:和歌山県和歌山市

出身校:日本体育大学体育学部体育学科

所属:ミルキーウェイ(和歌山県)

田原直哉の体操時代

田原直哉選手は8歳から体操競技を始め、2001年にインカレで個人総合3位入賞、 一躍話題になりナショナルチーム入りも果たしました。

 

その後も全日本選手権で活躍し、2004年のアテネ五輪での代表入りも期待されたのですが惜しくも叶いませんでした。

2005年の東アジア杯では団体銀メダルを獲得するなど活躍していますが、同じ2005年の冬、右肩の筋断裂という怪我を負い、リハビリ生活突入を余儀なくされたのです。

 

その後リハビリ生活をしつつ体操競技に取り組んでいたのですが、納得のいく成績が出せなくなってしまいました。

手術で完治する可能性もあるようでしたが、仮に完治しても北京五輪に間に合わない為、体操競技を断念しました。

 


8歳からずっと18年間続けてきた競技、オリンピック出場の夢を断念するのはかなり悩んだろうと思います。

これだけ長く続けていたらもう生活・人生の一部になっていたはずです。

体操競技断念時、田原直哉選手は25歳でした。

 

スポーツ選手の体力的ピークはだいたい27~28歳くらいと言われています。

ほぼほぼピーク時ですね。

 

私だったら、もうこれから体力落ちる一方だし、体操引退したし、まだ25歳だし就職するかな・・・、と思ってしまいますが、田原直哉選手は違いました。

 


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田原直哉選手のエアリアル時代

なんと、田原直哉選手は体操を辞めてから、エアリアルという競技の選手になったのです!

なんでも、エアリアルを見たときに「体操競技の経験を活かせるかも…」と思ったのと、エアリアルに導いてくれた恩人がいるそうです。

エアリアルの恩人については後程くわしく書きますね!

 

エアリアルとは空中演技を競うスキーのフリースタイル競技の1つです。

スキーって雪の上を滑るものじゃないんですか? 空中演技って・・・どういうことですか!?と管理人も最初はよく分かりませんでした。

エアリアルがどういうものかは、田原直哉選手のエアリアルの練習風景の動画をご覧ください。

 

 

見てお分かりになったと思いますが、長さ160cm程のスキー板をはいて空中に飛び上がり、宙返りをして着地するまでの競技なんです。

 

スキー板だけで女性の平均身長くらいありますよね。

「足に板がついいているのに空中であんなににクルクル回れるなんてもう訳がわからない」

「まるで(体操の)白井健三選手がスキーをしているみたいだなあ」

これは、田原直哉選手がエアリアルを見てつぶやいた言葉です。

 

競技している選手も訳がわからないと言ってるので、ド素人の私達がわかあるわけありません(笑)

現在の田原直哉選手は、雪上では3回転4回捻り、水上では3回転5回捻りを決めることができるそうです。

本当にどうなっているんでしょうか。

 

5回転捻り~の文だけ見ると、「やっぱ元体操選手だし簡単にできたんだな~」と思われてしまいそうですが、そうではありません。

田原直哉選手はエアリアルに転向した当時、スキーに関しては全くの初心者だったのです。

 

そのため、スキーの基礎の基礎、「ハの字で止まる」から学び始めたそうです。

スキーやったことある人、絶対これ最初に教えられましたよね。

 

あえてスキーのインストラクター養成コースに入り、人に教えながら、自分も練習したそうです。

さらに練習ができるようにと、福島県に移住までしたのです!

さすがにオリンピックに出場するほどの人はやることが徹底してますね。

 

2012年から2018年春までは、長野・白馬村の「岳園荘」で接客をしながら、居候して練習に励んでいました。

プロスポーツ選手でも、アルバイトしないといけないんですね。

アルバイトで稼いだお金は海外遠征費に消えていったそうで・・・。

 

遠征費は全日本スキー連盟からの強化費だけでは足りず、インターネットで寄付を募って何とか賄っているそうです。

国内遠征ならまだしも、海外遠征となるとかなりお金掛かりますもんね・・・。

エアリアルの知名度がそこまで高くないから予算があまりないのでしょうか?

 

エアリアル転向後の成績ですが、体操競技で培った身体能力で 転向2年目の2008年には全日本スキー選手権で3位となりました。

全くの未経験から2年で全国3位というのは、体操の経験があるとは言えすごいですよね!

当たり前かもしれませんが、かなりの努力したんだと思います。

 

なんでも、体操選手時代にチームメートだった米田功選手、水鳥寿思選手がアテネ五輪で金メダルを獲得し活躍している姿を見てモチベーションを高めたのだとか。

現在も体操選手時代にチームメートだった選手たちと交流があるなんてすばらしいです。

 

田原直哉選手の大会での快挙は止まりません!

2009年の全日本スキー選手権で順位を1つ上げ2位となり、世界選手権の日本代表にまで上り詰めます。

2011年から全日本スキー選手権2連覇を成し遂げ、2012年のワールド杯モンガプリエル大会では自身最高位の3位となり、 日本人男子選手として初めて表彰台に上がりました。

そしてついに、悲願の平昌五輪切符を手にしたのです。

 

先ほどちらっと書きましたが、田原直哉選手をエアリアルに導いたのは小勝陽子さんという方。

僕をこの競技に導いてくれた小勝陽子さん、本当にありがとう。

と田原直哉選手はブログに書いていました。

 

小勝陽子は今回の平昌オリンピックでエアリアルの解説をしていた方なのです。

その小勝陽子さんとの縁があって、エアリアルでオリンピックに出場できたんですね。


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田原直哉の出身中学や高校は?

田原直哉選手は和歌山県和歌山市出身ということで、おそらく地元の小・中学校に通っていたと思われます。

 

高校は和歌山県立和歌山北高等学校卒業みたいですね~。

こちらの高校、体育科があったようです。

 

生徒の80%が普通科とのことですが、田原直哉選手は体育科に通ってた可能性が高そうですね。。

ちなみに平成24年に体育科はスポーツ健康科学科に名称変更しています。

スポーツの中でも女子フェンシングが有名なのだとか。

 

ちなみに、和歌山北高等学校のOB・OGは以下の通りです。

  • 西岡詩穂選手(女子フェンシング)
  • 田中理恵選手(体操)
  • デューク更家さん(ウォーキングドクター)

デューク更家さんのウォーキング、一時期相当流行りましたよね。

私もよく手を上に上げてデューク式ウォーキングしていました。

 

大学は、日本体育大学体育学部体育学科卒業です。

言わずと知れたスポーツ名門大学ですね。

体操選手は内村航平選手・白井健三選手・田中理恵選手、サッカーの丸山桂里奈選手や相撲の琴欧州選手までOB・OGなんです!

 

田原直哉は結婚して妻がいる?

田原直哉選手は2018年で38歳だそうですが、結婚はしているのでしょうか?

 

この年齢だと結婚して子供がいてもおかしくないですよね。

しかし、いろいろと調べてみたものの家族情報は出てきませんでした。

 

インタビューで、田原直哉選手は

貯金もないし、やめた後どうやって食っていくのかなって。この年齢で正直怖いですよ

と話しています。

 

お嫁さんがいたら食っていく道は少なからずある(稼いでもらうとか!)はずなので、結婚はしていないと推測します。

 

InstagramやTwitter、ブログなど色々なSNSをしている田原直哉選手なので、家族を持っていたら写真など投稿されそうですしね。

あと、オリンピック出場者あるあるの、アスリートを支えた妻!などとテレビで報道されるはずです。

今は結婚していなくても、自分の道を貫く田原直哉選手にはきっと良縁があるような気がします!

 

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まとめ

体操選手から見事スキー競技のエアリアル選手に転向した田原直哉選手。

血の滲むような努力の甲斐があり、2018年の平昌五輪出場が決めました。

残念ながら決勝進出はできませんでしたが、今季引退と思われていた田原直哉選手が現役続行を宣言。

次のオリンピックでも活躍している姿が見れるかも!?

田原直哉選手のチャレンジ精神には勇気をもらえました。


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